2013年8月27日火曜日

第651話 八月の油蝉 (その2)

愛猫・プッチが窓越しに雀をながめていた日。
そこから何日か経過した。
とはいえ、まだ八月もど真ん中の暑い午後であった。

所用を済ませて帰宅すると、
ドアの前に一匹の蝉が腹を見せている。
亡骸(なきがら)かと思ったら
かすかにうごめいているじゃないか。
ムカデやゴキブリならいやだが
蝉は子どもの頃から好きな昆虫、迷わずつまみ上げた。

やや小型の油蝉はいきなりつままれて
癪にさわったのかジージーと鳴きだした。
おう、おう、けっこう元気でないの。
これならあと一日、二日は生き延びるかもしれない。
今夜あたりがヤマかな?  
って、オイラは蝉の主治医かヨ。

もう飛ぶことはできまい、さすれば自然界に帰しても無意味だ。
家に持ちかえって(目の前のドアの向こうだがネ)、
末期の水代わりにトマトかきゅうりの汁でも与えようか?
無駄と知りつつもジージーと騒ぐヤツをあえて拉致、
もとい、看護する破目に陥ったのでした。

偽善者を装ってみたものの、しょせん悪玉、
実は悪企みがあったのだった。
フッフッフ、これJ.C.、そちもなかなかのワルよのォ。
もしもこの蝉を引き合わせたら
当家の化け猫、もとい、バカ猫はどんな反応を示すだろうか?

このことであった。
ジャレついて一緒に遊ぶのか、あるいは惨酷にいたぶるのか、
はたまた怖れおののき尻尾を巻いて逃げ出すのか・・・
いやはや興味津々である。

でもって世紀のご対面。
ムムッ、しばらくじっとみつめていた愛猫はやがて
小当たりに当たり始めた
ありゃりゃ、ひっくり返しちゃったヨ

まさにこのとき、脳裏をよぎったのは石川啄木の短歌であった。

 東海の小島の磯の白砂に
         われ泣きぬれて蟹とたはむる

ひるがえってわが家の目の前の光景は

 東京の小部屋の床の板の間に
         猫泣きぬれず蝉とたはむる

すると驚くなかれ、今わの際の油蝉が反応し始めた。
鳴くだけでなく、パサパサと羽ばたいたりもしている。
バカ猫はタジタジで、飛ばれるとだらしなく後ずさり。
羽を広げた八月の油蝉

蝉の最後のひと踏ん張りにいたく感動したJ.C.、
ベランダから瀕死の油蝉を解き放ってやった。
すると奴サン、パタパタと向かいのマンションにまっしぐら。
命の果ての一っ飛びを見たJ.C.とプッチ、
何やら心に熱いものがこみ上げて
これからの人生、どんな艱難辛苦が待ち受けていようとも
二人一緒に生きていこうナと、固く誓い合ったのでした。
やれやれ。