2013年8月30日金曜日

第654話 変わらぬ味と変わった味 (その1)

昔ながらの町の中華屋さんがめっきり減った。
さびしいねェ。
昭和30年代はどんなに場末の小さな町でも
必ず1軒や2軒は細々と暖簾を掲げていたものだ。
日本そば屋にあまり変化がないのと対照的に
中華そば屋は絶滅の道まっしぐらの感がある。

あの時代の中華屋のメニューはまずラーメンとワンタン。
それからタンメン・もやしそば・ワンタンメン・チャーシューメン・五目そば。
注文する客をめったに見なかった天津メンも古くからあった。
逆に広東メン、いわゆるうま煮そばは
中華丼の麺バージョンといった位置付けなのだが
提供する店はほとんどなかったと記憶している。

麺類以外ではチャーハンと中華丼、野菜炒めにニラレバ炒め。
餃子を食べた記憶がまったくないのはどうしたことだろう。
オリンピック前の東京に餃子はまだ普及していなかったんだネ。

そのぶん焼売が幅をきかせていた。
中華屋以外に町の精肉店でも焼売はおなじみのレパートリー。
上にポツンと一つ、グリーンピースが乗っかっていたっけ。
挽き肉少な目で玉ねぎやツナギの多いヤツだった。
なつかしいなァ、食べたいねェ。

肉屋といえば当時は焼売・マカロニサラダ・野菜サラダが
揚げもの以外の三大惣菜だった。
野菜サラダは当世のポテトサラダのことで昔はこう呼んだのだ。
今でも古い店は野菜サラダで通しているところが少なくない。

散歩に出掛ける機会の多い谷根千に気に入りの中華屋2軒。
1軒は千駄木は三崎坂(さんさきざか)の「砺波」。
店主が富山県・砺波の出身で確か女将さんも同郷のハズ。
このオバちゃんの接客がとてもすがすがしい。

もう1軒は根津・善光寺坂の「中華オトメ」。
もともと「オトメパン」なるパン屋だったのを
先代が中華料理店へと急ハンドルを切った由。
世の中には思い切ったことをする人がいるもんだ。
どんな着想からパン屋を中華屋に変身させたのか?
機会があったら訊ねてみたい。
そのままパン屋を続けていたなら昭和の香り漂う、
J.C.好みのレトロな店として残っていたことだろう。
そう思うと非常に残念。

昔ながらのパン屋というのも激減している。
ブラジャーのパットみたいな甘食(あましょく)をトンと見掛けないし、
三つ島(みつじま)なんか、すでに化石だもんねェ。

=つづく=