2016年3月23日水曜日

第1322話 花嫁は二児の母 (その5)

29年前のニューヨーク。
まだWTC のツインタワーが屹立していた平和な時代だった。
往時、街のベスト・フレンチの異名をとって
誉れ高き「Lutece」のテーブルに着いていた。
おそらく接客陣も胡散臭い連中がやって来やがったと思ったことだろう。
でも、そこは一流料理店、表向きにそんな態度は微塵も見せない。
 
アペリティフをお願いし、手渡されたメニューに目を通すことしばらく―。
ほどなくしてメートルDが本日のスペシャリテの説明をし始めた。
当地の料理店では必要不可欠なサービス、というより儀式である。
言葉の判らない客にとっては迷惑このうえないだろうが
そんなことを言ってはバチが当たるというものだ。

とにかくその説明は
リストランテ・イタリアーノのカメリエーレほどではないにせよ、
レストラン・フランセーズのギャルソンもまた懇切丁寧にして
日本の料理店の比ではない。
 
途中、くだんのバール・アン・クルートが紹介された。
こちらは何気なしに
「ああ、ポール・ボキューズ風ネ?」―
相槌を打ったら即座に
「ウイ、ムッシュウ!」―
わが意を得たりと満面の笑みである。
結果としてこの一言が功を奏した。
メートルDがわれわれのテーブルから離れなくなり、
極上のサービスを受ける立場と相成ったのだ。
 
エニウェイ、無粋な客の汚名をすすいだだけでも価千金。
以後、余計な気兼ねをせずに済んだというわけ。
ちょいとばかり慇懃無礼の感否めずではありましたがネ。
 
ハナシを元に戻さねば―。
東プリ復刻料理のうちでもっとも思い入れが深いのは
何を差し置いても海老のチリソースである。
中国語では乾焼蝦仁(ガンショウ・シャーレン)と表記され、
蝦仁というのは芝海老のこと。
これが車海老なら明蝦、大正海老サイズは大蝦、
伊勢海老クラスになれば龍蝦、これにて打ち止めだ。
 
東プリには「満楼日園(マロニエ)」という名の中国料理店があり、
その薄味タッチはなかなかの人気を誇っていた。
これは現在も変わらない。
レストラン・メニューに限らず、
パーティー料理も中華モノはここのキッチンから出てくる。
 
1971年、秋口のある日。
そう、街には尾崎紀世彦の「また逢う日まで」と
五木ひろしの「よこはま・たそがれ」が流れていたっけ―。
たまたま乾焼蝦仁を試食する機会に恵まれた。
 
いや、驚いたのなんのって―。
あいや、ブッタマゲたというのがより正しい。
世の中にこんな美味が存在していたとは!
舌は震え、身体には鳥肌が立ったのでありました。
 
=つづく=