2022年1月17日月曜日

第2930話 昔「大勝軒」と言えば・・・(その1)

近年、つけ麺&ラーメンの超有名店と言えば、

真っ先に思い浮かぶのは中野を発祥の地とし、

東池袋で花開いた、山岸一雄サンの「大勝軒」。

 

中野時代、まかない食に興味を示した常連客に

試食させたところ、評判がよくメニューに加えた、

特製もりそばが日本初のつけ麺である。

 

時に1955年。

日本全国津々浦々、ハッチーの「別れの一本杉」、

ミッチーの「おんな船頭唄」が流れていた。

島倉のお千代サンがデビュー曲「この世の花」で

いきなりミリオンヒットを放ったのもこの年だ。

 

奇しくも同年、杉並区・永福町駅前に

オープンしたのが同名の「大勝軒」。

1970~80年代、「大勝軒」と言えば

第一感は永福町だった。

 

他店の2~3倍はある麺の量と

近隣の住民のために昼夜を厭わず提供し続けた、

“氷・百十九番”が大きな話題となった。

永福町の名を東京中に知らしめたのは

「大勝軒」の功績と断言できる。

 

その日は浜田山に向い、

渋谷から京王井の頭線に乗車。

狙いはベトナム料理店だったが

ランチのラストオーダーに間に合いそうもなく、

二つ手前の永福町で下車した。

 

繁華な町につき、

昼めし処には事欠くまいと踏んだのだ。

ところがギッチョン、ないねェ、ありませんなァ。

気に染む店がまったくない。

というか、開いてる店がほとんどない。

 

方南町まで歩けば、中休みナシの食堂兼酒場、

「やしろ食堂」が手ぐすね引いて待っている。

しかし、それでは井の頭線に乗った意味がない。

何やってんだか判らなくなる。

 

ハタと思いついたのは自分には量が多すぎるため、

ノーマークだった駅前の「大勝軒」だ。

駄目元で減量をお願いしてみよう。

そう期待しておよそ40年ぶりの再訪となった。

 

14時半、スープの香り漂う店先に来ると、

行列もなくカウンターにすんなり。

お運びサンに

「麺を一玉にしてもらえませんか?」

「お残しいただくようにお願いします」

「ですよネ、判りました」

珍しく素直なJ.C.である。

 

あまりに昔過ぎて逆に懐かしさを感じない店内。

12~3席あったカウンターは10席に減らされたが

3卓のテーブルはそのままのようだ。

一めぐり見渡し、卓上の品書きに視線を落とした。

 

=つづく=