2011年3月3日木曜日

第3話 秀子を変えたにくい奴

昨日に引き続き、高峰秀子サンである。
どうもこの女(ひと)を語り始めるとハナシが長くなってしまう。
どうしてこんなに好きなのか?
いつから好きになったのか?
自分でもよう判りまへんのや。

女優としての彼女を初めて認識したのは
小学生校4、5年の頃だった。
当時、日本には高峰姓の女優さんが2人いて
三枝子サンはとても綺麗な人、
秀子サンはちょっと可愛いけれど、
町内に1人や2人はいそうな
ごく普通のオネエちゃんかオバちゃんというイメージ。
子ども心にそう思っていた。

秀子サンのファンになったのはここ10年ほどのこと。
それまでこの両眼は節穴同然だったのだ。
嘆くべし!
40歳を過ぎると永井荷風にのめり込むとよくいわれるが
はたして高峰秀子もそのクチなのだろうか。

昨日もふれた「わたしの渡世日記」は
上・下巻計52話からなるエッセイ集。
深く印象に残る話は枚挙にいとまがないが
その中に「にくい奴」と題された1篇がある。
肝の部分を引用したい。
長いので勝手に編集・要約してしまった。
ごめんネ、デコちゃん、許されよ。

 ある夜、豊田四郎演出の「小島の春」の試写室に
  もぐり込んだ私は一人の女優の演技に、
  思わず身を乗り出した。
 「小島の春」はハンセン病患者のために
 一生を捧げた女医の手記を映画化した作品であった。
 身を乗り出したのは主役の女医が陽光輝く山道を登り、
 あるハンセン病患者を訪ねる場面であった。
 醜く崩れた顔をさらしたくないためだろう、
 あくまでも女医に、つまりカメラに背を向けたまま、
 物干し竿から洗濯物をとり込む女の、
 その演技のずばぬけた上手さ、 巧みさ、素晴らしさ!・・・。
 私はうめいた。
 「これこそ演技だ!
 私が求めて見たこともなかった芝居がここにあった!・・・。
 こんな上手い俳優がこの世に居るとは知らなかった。
 チキショー、誰だお前は。
 いったい、どこのどいつなんだ!」

 それが杉村春子という名女優と私との出会いであった。
 私は彼女の演技に雷に打たれたようなショックを受けた。
 「同じ演技を売るなら、
   これほどの演技を売らなければ俳優ではない」
 と、私は思った。
 終始うしろ姿を見せながら、セリフだけで演技する、
 ニックキ杉村春子の姿が目に焼きついて離れなかった。
 胸にフツフツとファイトの煮えたぎるのを感じていた。
 と同時に、人間の背中にも「顔」のあることを私は知った。

偉大な女優が、のちのち偉大になる女優の眼を開かせる。
秀子は春子の背中を見て育ったのだ。