毎年この季節には大きな楽しみがある。
家々の庭から流れ来る沈丁花の香りをかぐことだ。
沈丁花はジンチョウゲと読まれるが
チンチョウゲも正しく、このほうがずっと耳にやさしい。
”ジ”と”チ”の一文字違いでこうも印象が変わるものか。
40年も前、大橋巨泉が司会のTV番組、
「お笑い頭の体操」でオヒョイこと藤村俊二が
1字違いの大違いを披露する設問にこう応えた。
世の中は”シ”の字と”ス”の字の違いにて
武士は日本の鑑(かがみ)、ブスは日本の恥
これには腹を抱えて笑ったね、いや、アッパレ。
例年、沈丁花の”かぎ初め”は2月下旬。
今年は気候のせいもあり、
その時期に長距離散歩の機会なく、
とうとう、かがずに3月を迎えてしまったが
先の土・日は久々に散歩日和であった。
陽光うららかにして吹く風もおだやか。
こんな日に家でくすぶっていてはお天道様に申し訳ない。
土曜の朝、向かったのは気に入りタウンの西荻。
駅南口の「はつね」で名物のタンメンを
昼めしとする腹積もりだったのだ。
ところが長蛇の列に心がくじけ、夢はもろくも砕け散る。
夢破れて山河あり 障子破れてサンがあり
まっ、この日の飲み食いに関しては明日に回す。
仕方なく代替店で腹ごしらえのあと、
地元で絶大な人気を誇るパティスリーを訪なう。
店は東京女子大の正面にあり、
継いで女子大の北に接する善福寺公園を散策。
池を2つも擁する公園は湧水に恵まれ、
近隣の人々が憩うにうってつけ。
ここで今年最初の沈丁花をかいだのだ。
多くの野鳥たちも目を楽しませ、心を和ませる。
番(つがい)でいることの多いキジバトがなぜか1羽。
しかも人をあまり怖れないのが不思議。
ユーモラスな姿のゴイサギも数羽飛来していたが
用心深く藪に潜んでサカナを待ち伏せ、
おいそれと被写体になってはくれない。
八幡神社から隣り町の荻窪へ抜ける道すがら
民家の樹木に花の蜜を吸う番いのメジロと遭遇、
僥倖なり。
ルートを変え、善福寺川沿いに再び西荻を目指した。
川面にはカルガモがのどかに遊んでいる。
するとオナガガモのファミリーまで現れた。
オナガガモは幼時から雌雄の違いが歴然で
ここがカルガモと大きく異なるところだ。
愛くるしいヒナたちにしばし時を忘れる。
日本人に生まれたからにゃ、無縁でいられぬ花鳥風月。
4時間にも及んだ散歩は”風月”に縁はなくとも
”花鳥”と接した貴重なひととき。
物の動・植を問わず、
生きとし生けるものとふれ合う歓びは
おのれもまた、生きもののはしくれであることを
あらためて実感させてくれもした。
家々の庭から流れ来る沈丁花の香りをかぐことだ。
沈丁花はジンチョウゲと読まれるが
チンチョウゲも正しく、このほうがずっと耳にやさしい。
”ジ”と”チ”の一文字違いでこうも印象が変わるものか。
40年も前、大橋巨泉が司会のTV番組、
「お笑い頭の体操」でオヒョイこと藤村俊二が
1字違いの大違いを披露する設問にこう応えた。
世の中は”シ”の字と”ス”の字の違いにて
武士は日本の鑑(かがみ)、ブスは日本の恥
これには腹を抱えて笑ったね、いや、アッパレ。
例年、沈丁花の”かぎ初め”は2月下旬。
今年は気候のせいもあり、
その時期に長距離散歩の機会なく、
とうとう、かがずに3月を迎えてしまったが
先の土・日は久々に散歩日和であった。
陽光うららかにして吹く風もおだやか。
こんな日に家でくすぶっていてはお天道様に申し訳ない。
土曜の朝、向かったのは気に入りタウンの西荻。
駅南口の「はつね」で名物のタンメンを
昼めしとする腹積もりだったのだ。
ところが長蛇の列に心がくじけ、夢はもろくも砕け散る。
夢破れて山河あり 障子破れてサンがあり
まっ、この日の飲み食いに関しては明日に回す。
仕方なく代替店で腹ごしらえのあと、
地元で絶大な人気を誇るパティスリーを訪なう。
店は東京女子大の正面にあり、
継いで女子大の北に接する善福寺公園を散策。
池を2つも擁する公園は湧水に恵まれ、
近隣の人々が憩うにうってつけ。
ここで今年最初の沈丁花をかいだのだ。
多くの野鳥たちも目を楽しませ、心を和ませる。
さっそく足元に寄ってきたキジバトくん
番(つがい)でいることの多いキジバトがなぜか1羽。
しかも人をあまり怖れないのが不思議。
ユーモラスな姿のゴイサギも数羽飛来していたが
用心深く藪に潜んでサカナを待ち伏せ、
おいそれと被写体になってはくれない。
八幡神社から隣り町の荻窪へ抜ける道すがら
民家の樹木に花の蜜を吸う番いのメジロと遭遇、
僥倖なり。
ルートを変え、善福寺川沿いに再び西荻を目指した。
川面にはカルガモがのどかに遊んでいる。
するとオナガガモのファミリーまで現れた。
オナガガモは幼時から雌雄の違いが歴然で
ここがカルガモと大きく異なるところだ。
愛くるしいヒナたちにしばし時を忘れる。
日本人に生まれたからにゃ、無縁でいられぬ花鳥風月。
4時間にも及んだ散歩は”風月”に縁はなくとも
”花鳥”と接した貴重なひととき。
物の動・植を問わず、
生きとし生けるものとふれ合う歓びは
おのれもまた、生きもののはしくれであることを
あらためて実感させてくれもした。