2011年5月5日木曜日

第46話 ときどき観たい小津映画

小津安二郎の映画は相当数観ている。
ただし、タイトル、ストーリー、キャスティング、
いずれも似通った作品が多いため、
アレ? あのシーンはいったいどの映画だったっけ?
思い浮かべるたびに、こんな症状に見舞われてしまう。
彼が自分のスタイルを確立したのは
巷間伝わるように1949年の「晩春」以降であろう。

小津の作品中、どれか1本と問われると、
間髪置かずに「東京暮色」と応えている。
封切られたのは1957年4月30日。
スカイツリーどころか、東京タワーすら完成していない。
長嶋茂雄はまだ神宮球場の六大学だし、
正田美智子さまもまだ宮城入りを果たしていない。
もっとも皇太子妃殿下が住まうのは
皇居ではなく赤坂御所のほうだ。

ところでなぜ「東京暮色」が好きなんだろう。
映画でん、食べものでん、好きなものは好き、
取り立てた理由など用意せずとも構わぬが
気になるので連休中に観直し、分析してみた。
浮かび上がった理由を
大小、重軽にこだわりなく列挙する。

① 小津映画としては異色、独特の暗さが全編を支配している
② 大好きな有馬稲子が主役の一翼を担っている
③ 日本酒を飲むシーンが多く、観ていて酒が飲みたくなる
④ 小料理屋・うなぎ屋・中華屋・鮨屋、なじみの店が目白押し
⑤ 狂言回しとして唯一の明るいキャラ、杉村春子が効果的
⑥ 常に良き父親の笠智衆が悲しい過去を背負っている
⑦ 田中春男と須賀不二男、二人の脇役がそれぞれに抜の群
⑧ 雀荘を営む夫婦、中村伸郎と山田五十鈴の呼吸が絶の妙
⑨ 小料理屋「小松」の女将・浦辺粂子が的矢の牡蠣を自慢する

といったところであろうか。
⑨番は蛇足で、単にJ.C.も的矢の牡蠣に目がないだけ。
小津自身も若い頃を過ごした三重の地には
ひとかたならぬ愛着を持っていたことが偲ばれる。
しかし半世紀以上も前から
的矢の牡蠣が東京に運ばれていたのにはびっくり。

こうしてみると小津映画の不動のヒロイン、
原節子だけがちょいとばかり、はてなマーク。
この作品に彼女は不要、使ってほしくなかった。
さすればよりいっそう異色感が際立ったのに・・・。

黒澤映画でおなじみの藤原釜足が店主に扮する、
「珍々軒」の立て看板に目が釘付けになった。
有馬稲子の行きつけの、しがない町の中華屋である。
昭和32年当時の物価が計り知れるので一部を紹介しよう。

 ワンタン・・45円      中華そば・・50円
 チャンポン・・70円     もやしそば・・80円
 叉焼麺・・80円       揚げ焼きそば・・100円
 五目そば・・100円      シューマイライス・・80円

なぜか炒飯が見当たらない。
もやしそばがチャンポンより高く、
叉焼麺と同値というのもヘンだ。

うなぎと中華が大好きな小津は
たびたび銀幕にも好物を登場させている。
熱烈に観たくなるというのではないけれど、
たまに観たくなるのが小津作品の不可思議な魅力である。