2011年5月31日火曜日

第64話 「ゆうひ」の鮨に 友と行く (その1)

♪   夕陽の丘の ふもと行く
   バスの車掌の 襟ぼくろ
   わかれた人に 生き写し
   なごりが辛い たびごころ ♪
     (作詞:萩原四朗)


裕次郎&ルリ子の歌声が街に流れていたのは1963年。
東京オリンピックの前年のことで
三波春夫の「東京五輪音頭」もこの年すでに流行していた。

1963年は前年の’62年に続いて歌謡曲の豊作年。
梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」が
大賞にふさわしいかどうかはともかく、
名曲に恵まれた卯年の一年であった。

舟木一夫「高校三年生」、三田明「美しい十代」はともに
二人のデビュー曲として大ヒット、それぞれ彼らの代表曲となった。
北島サブちゃんのデビュー曲、「なみだ船」、
亡き坂本九ちゃんの「見上げてごらん夜の星を」もこの年だ。
でも一番好きなのはザ・ピーナッツの「恋のバカンス」。
4ビートのリズムに乗った双子姉妹のハーモニーがすばらしかった。
あまり時を置かずにロシア(当時はソ連)でも大ブレーク。
いまだに歌われ続け、ロシア国民の心に根付いている。

さて、とある夕暮れ、実はほんの数日前のこと。
こぬか雨が肩を濡らし、
西空を見上げても夕陽の姿なき黄昏どきである。
親しき友と「ゆうひ鮨」に出掛けた。
以前は不忍通りに面する三角形の珍妙な造作の店舗。
それが駒込はアザレア通りの外れに移って丸2年、
移転後は初めての訪問だ。

当然ながら親方の面立ちには見覚えがある。
つけ台がだいぶ長くなって10席はありそう。
ビールは生も瓶もサッポロのみながら
晩酌の対象として不足のない銘柄ではある。
特別のリクエストがなければ、おまかせ一辺倒のシステムで
これは移転前にはなかったしきたりだ。

まずは生を1杯。
突き出しは釜揚げの桜海老。
これは”大”の上にも”大”の付く好物。
大根おろしをちょこっと添えてくれたらもっとうれしいが
どうしてどうして、このままでもじゅうぶんにありがたき幸せ。
箸の上げ下げにリズムが出てくる。

親方曰く、つまみの間ににぎりをはさんで供するとのこと。
珍しいスタイルながら、ほかにないこともない。
有名なのは四谷見附の「すし匠」であろう。
突き出しのすぐあと、目の前ににぎり第一号がスッと着地した。
おやっ? 少なからず意表を衝かれたことであった。

=つづく=