2021年12月3日金曜日

第2899話 お濠の代わりに電車が見えた

その数日後、再び市ヶ谷にやって来た。

この日は市ヶ谷橋を渡らずに

外濠の内側、千代田区・四番町の洋食店、

「ペザント四番町」の階段を降りた。

 

相席のテーブルにて

黒ラベルの中瓶とカキフライを単品でお願い。

カキが上手に揚がっている。

カリッサクの食感が快適だ。

レモンのみ、タルタルソース、生醤油、

ウスターソースと味変を繰り返して楽しむ。

 

1170円を支払い、四ツ谷方面に向かう。

途中、東京中華学校の校庭を通りかかると、

北京語かな? 黄色い声が飛び交っていた。

 

五番町の外濠公園の崖上に来た。

下をのぞいてもお濠は見えない。

お濠は市ヶ谷橋の先300mほどで終わるからネ。

その代わりに電車が見えた。

JR中央線と総武線が行き交っている。

 

ここでまた「つゆのあとさき」が脳裏をかすめた。

舞台は同じ外濠公園でももっと東の牛込見附寄り。

カッフェーの女給・君江は盟友・京子の旦那だった、

川島にバッタリ出逢い、互いの近況を語り合う。

二人で市谷見附まで歩いた末、

彼を市谷本村町の貸間に招く。

 

「さしつかえは無いのか。」

「いやなおじさんねえ。大丈夫よ。」

「間借をしているんだろう。」

「ええ。わたし一人きり二階を借りているんですの。

 下のおばさんも一人きりですから

 誰にも遠慮は入りません。」

「それじゃちょっとお邪魔をして行こうかね。」

 

君江は堀端から横丁へ曲がる時、

折好く酒屋の若いものが路端に涼んでいるのを見て

麦酒三本と蟹の缶詰をいい付け、

「おばさん。唯今。」

といいながら川島を二階へ案内した。

 

さて、「生きよろ」の主人公・J.C.

しばし公園にたたずんだのち、

四谷見附、しんみち通り、三栄通りを経て

これも小説に登場する津の守坂を下って合羽坂下。

向かいは君江の住まいがあった市谷本村町である。

現在は本村町≒防衛省、他の施設はほどんどない。

 

此処は半世紀前。

三島由紀夫が“白刃の喧嘩(でいり)”の末に

自決した場所である。

 

さらに半世紀前。

小説のヒロイン・君江がこの場所に棲んでいた。

それにしても一世紀前の東京市民は

蟹缶で麦酒を飲んでいたんだネ、うらやむべし。

 

「ペザント四番町」

 東京都千代田区四番町4-13

 03-3262-3708